ブログにアップした感想から抜粋したものをお送りいたします。 【独り芝居 カスタネット】 「想像して下さい」 末原拓馬さんの言葉と声に導かれて、目を閉じ、目蓋の裏を透かして仄かに感じる滲んだような淡い光の他は、真っ暗な闇にすっぽりと包み込まれる。 拓馬さんの声に手を引かれて、この夜、私に見えたのは、藍色を濃くしたような蒼い夜の森深くにぽっかりと開けた原っぱの真ん中に踝まで覆う真っ白な服を着て、裸足で佇む自分。 足の裏に感じるのは夜気を含んでしっとりして少しチクチクする草の感触、透明な水のような風に赤を数滴と蒼と金色を垂らしたその境界線が淡く滲んだ色の風、その風に伸ばした指先が触れた刹那、風が弾け、指先から流れて染まった服は、夜の森の蒼に境界線を滲ませた赤と蒼と金色がそのまま移し取られた色へと染まり、辺り一面がきらきらと輝く、目を瞑ったまま、顔を上げ、風と夜のしっとりと湿った草いきれの香りを感じながら、そっと目を開けると、目の前に現れる物語りの扉をそっと軋ませて開くと【独り芝居 カスタネット】の物語りがゆっくりと紡がれて行く。 残酷と言ったらこれ程残酷な話はない。けれど、ただ残酷なだけではない。物語りの結末に行き着いた後に残るのは、残酷に始まった物語りが、幼い少女カスタネットの過酷で残酷な運命と日々の中でさえ損なわれることの無かった、無垢な心と純粋な美しい心から呟き続けられた言葉で、見たことのない切なくて、哀しいけれど美しく、温かく、優しい思いに満ちた世界。 言葉には力があり魂が宿る。その事を改めて感じる独り芝居。日々の中で、私を含め人は醜い感情や悪い言葉が口をついて出たり、心の中に吐き出してしまうことがある。そんな時、ふっと、一呼吸して、柔らかな言葉と心に置き換えてみたならば、この世界から悲しい争いも、ぎすぎすした黒い苛立ちもなくなるのではないかと思う。 この芝居を観ている内に、また一片二片物語りの欠片が降って来た。 そして、始まった、 【だぼだぼラボラトリィ】 もう、こちらは、先月と同様、ひたすらに楽しく、ひたすらに笑い転げて、会場に明るくて、幸せな笑い声が満ち溢れて、きらきらとお日様の色をした空気が漂っている温かい空間になる。 詩の朗読あり、遠藤 智林さんの映像と拓馬さんの英語の朗読のコラボレーションが、しみじみと慈雨が染む込むように美しくて暖かかった。 この日もあった、観客からランダムにお題をいた貰ってその場で即興で作りながら紡がれる短い芝居が、きっと二度と同じものは紡げない、この日、この時、この空間だけで紡がれ、放たれる即興芝居は此処でしか観られない。それがとてつもなく楽しい。 最後は、拓馬さんの歌。去年の7月の「The Work-Shop Show」で克服するまで、歌にトラウマがあると言っていた拓馬さんですが、私は、拓馬さんの歌がとても好きです。 歌の詞も拓馬さんが紡いでいるのですが、その言葉たちが、拓馬さんの声に乗って歌われると胸の真ん中の奥にじんわりと染み込んで行き、そこからふわぁーっと広がって行く言葉に込められた思いとほの温かさがとても好きです。 たぼだぼは、何があっても笑っていよう、美しいことばを唇にのせ、微笑みを顔にのせていれば、どんな時でも、どんな状況でもきっと乗り越えられる。 言葉にも笑顔にも力がある。それは、子供の頃からの自らの経験でも実証されている。 だから、私は、【だぼだぼラボラトリィ】も大好きなのだ。 誕生日月の3月の「ひとりじゃできねぇもん」も今からとても楽しみだ。 この日、拓馬さんの友人のありふみさんが、急遽、だぼだぼラボラトリィが始まる前に、何か話せと無茶ぶりされて、話した話がほのぼのと可笑しくて楽しかったこと。 ずっと、この場所で、このまま、ここに紡がれる末原拓馬さんの物語と言葉を見て、聴いていたいと思った「ひとりじゃできねぇもん ~Weapon 兵器~」だった。
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